気持ち次第で見える景色が変わる話
こんにちは、こゆきです。
田舎もんが東京さ行ったせいでインフルエンザを貰ったらしくグロッキーです。
いやぁ、グロッキーな時の方が色々なものが見える。基本的に僕は他人から見栄えが良いように生きている。
好かれたいとか、他人から評価されたいとかじゃないんだが。叩き込んだ処世術が抜けないんだな。
だから普段は苦もなくどういうこゆきであるべきか、あらざるべきかを無意識にコントロールしながら生きてる気がする。
しかしそれを自覚した瞬間堪らなく苦痛に感じるんだな。それがフィジカル壊した時。
喉痛い、頭痛い、体がだるい。
そんな時だけ多分こゆきである事を許される。
そんな時だけ自分のことしか考えていない自分が許される。
余分な事考えない分周りがよく見える。
例えば庭の紅葉に葉が付いていない事に今更気づいたり、車が埃まみれなのに今更気づいたりねw
こっから余談。完全な独り相撲。
暗号通貨から読んでくれた読者さんとか、僕に興味ない人は読まっと結構。
医者に行けば薬は貰える。
薬がないと眠れない体を嘆いた事なんかない。
それなのに、自然睡眠が取れない事を哀れんだりされるのが嫌だ。
僕を憐れむな。
人にはそれぞれ底がある。僕は今底じゃ無い。
憐れむな、惨めな気持ちになる。
憐れむな、申し訳無い気持ちになる。
憐れむな、どうにかしなきゃいけない気がしてくるだろ。
31年も生きてきてさ、生き方なんか変わんねぇんよね。
僕が僕の意思で生きたのは17歳までなんだ。多分その時期が僕の今までの底。
親父が交通事故で職を失ってアル中になって一升瓶で殴られた日の事は今でも覚えてる。親父の還暦のお祝いの日だ。
周辺の記憶は曖昧なのに。
親父と刺し違えようとして母親が泣いて何故か僕に謝って〝離れ〟と言う逃げ場を与えてくれた。
母がいなかったら僕には親殺しの前科があったのかもしれないし、もう居ないかも知れない。
酒癖が悪かった親父じゃ無いし、仕事ばっかの親父だったから狂った後の親父しか僕の記憶にはない。
優しかったはずの父親は居ない。
キャッチボールをしようとグローブを買ってもらって壁とキャッチボールした思い出しかない。
干支が一周するより昔の話。
その周辺、僕の体重は常に50キロを割っていた。因みに身長は175センチだ。
友達とかその時々泊めてくれる奴らと一緒に過ごしてやり過ごした。
嵐ってのは一過性だ。親父も段々丸くなったし僕も丸くなった。
鬱だったり、生きづらい人。
自分全部悪い、相手が全部悪いなんて思い上がりはやめた方がいい。
罪の意識の片棒を自分だけで担いだり、相手だけに担がせるな。
その傲慢さが生きづらさの源泉だ。
医者で良い、同情してもらえ。
そしたら信頼できる誰かに、愛情を注いでもらえ。
ひねた生き方にはなるが意外に日本て優しいから生きていける。
具合が悪いと良い事も悪い事もアンテナが拾ったり、頭の引き出しからするっと出てくる。
頭痛いからこの辺りで寝ようかな。
おやすみなさいノシ