こゆきのこごと

国語・音楽・理科・ところにより社会をお届けします。

宗教にハマるやつは総じて頭が悪い

さくらももこ氏の話でひとネタ書こうと思ってたが、どうやら世間的には賞味期限が切れたらしい。はえーよ

情報化社会の闇を感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?

さくらももこは死にましたが、親愛なるさっぽろももこは生物学的には生きているようです。 

 

 

さてさて、宗教の話ね。

尚今回の件、相当量の僕の偏見が入っているため、霊とか神とかいると思ってる方並びに宗教にハマっている方は今すぐ右上の×ボタンを押してお帰り願いたい。

読んだら僕へのヘイトが溜まります(多分)。 

 

ではでは

始マリノ刻 開演

 

まず言っておくと僕には信仰心というものが欠落している。

やれと言われて罪に問われないのであれば墓だって蹴り倒せるし、葬式と戒名は要らんから拝み代で多額の金銭をせびる坊主を駆逐してくれと公言している。信仰対象がないことが僕の宗教観である。

 

因みに今回の件、○○教は良くないとか、××学会は良いとかそういう具体的な宗派とか信仰対象の話じゃない。どんな信仰であったとしても傍から見て“アイツは宗教にお熱だ”と見える奴は総じて阿呆であるという話である。

もう一度言う、宗教にハマってる奴は頭が悪い。加えて総じて人格的に厄介な人間が多い。

 

クリスマスに恋人とチキン食ってるパリピの皆さん、正月に姪っ子にお年玉をあげてる老害の皆さん安心してください。今回あなた方はセーフです。

個人的に思うところはありますが、実害がないので塁審と審議の上セーフとします。

 

 

今回やり玉にあげられるのは選挙前に電話かけてくる輩やら、ファミレスで回り固めてサインをさせようと勧誘してくる輩の皆様です。

 

 

ちょっとここで幕間劇 

~宗教の成り立ち~

 

仏教は仏陀(元王子)がイメトレの末悟りを開くってことが成り立ちだし、キリスト教はマリアが想像妊娠の末誕生したイエスが磔の刑で死んだはずなのに生き返った!ヤベェ!

という話である(適当)。

宗教に浸かっている人間からするとちげーよ!そんな軽い話じゃねーから!ぷんぷん!

といった雑な纏め方だが、興味のない人間からするとこの程度の内容に要約される。

 

ではなぜこんな深夜アニメの方がよっぽど面白い程度の成り立ちの宗教が流行ったのだろうか?

僕は“貧困と飢餓”と“推し量れないほどの貧富の差”この二点に要約されると考えている。つまり当時の平民は、何か意識を遠くに置かなければ自我が保てない、仏教で言えば輪廻の先、来世に望みを託すしかないくらい苦しい生活をしていたのではないかと。

重税を押し付けてくる暴君などに縋ることなどできず、神などというフワフワとした実体のない存在に縋るしか今を生きるすべを持たなかったのではないかと結論付ける。

 

~幕間劇 終~

 

では幕間劇を考慮して現代にならすとどうだろうか?

現代日本は飽食の時代である。勿論貧困に喘ぐ人間がいるのも知っている。

しかしこと日本国では住所さえ不定でなければ生活保護を受けるという選択肢もあるし、主教黎明期より生き抜く手段というものが法で明確化されている。

そんな一定水準の生活は一応は保証された時代に宗教にどっぷりハマっている人間の思考が分からない。

 

では現代宗教にハマっている、もしくはハマる人間の行動原理は何だろうか。

僕は大きく二つに分かれると考える。“絶望”ないし“欲”である。

まず“絶望”に関しては概ね黎明期に宗教に縋った人間と同じである。

しかし近代に宗教にハマっている人間の過半数の動機は“欲”過半数を占めていると考えている。

因みに入り口がどちらであれ双方ともに阿呆である。

 

絶望したならば、生活保護でも何でも受ければいいし、それ以外の部分で心が壊れてしまったなら医者にかかればいい。

宗教などというあやふやなものは自分は救われた気分になれた気持ちになれるかもしれないが巻き込まれた家族やらなにやらは悲惨である。

 

しかし一番厄介なのは“欲”でハマっている人間である。尚ここにはネットワークビジネスなど宗教的な集団の人間も多く所属する。

この手の手合は非常に厄介である。

 

例えば勧誘した信者の数で徳が上がり上級職に就きやすくなるとか、売れた商品の数だけキックバックが自身に入ってくるなど、“他の人間を巻き込んでいらっしゃい”と教祖様が仰る系宗教の檀家さん。

ここにカテゴライズされる人間が一番ウザい。

 

何がウザいって本人たちに悪意がないから、断っても断っても勧誘が止まらない。

しかし、悪意がなければ他人に迷惑をかけていいという言われも無いのである。

それを繰り返すうちにマトモな思考回路の人間が身近から離れていき洗脳されたコミュニティー同士の人間が残る。

 

“こんなにいい宗教(ビジネス)なのに何故みんな煙たがるのだろう?”と目くそと鼻くそ同士が話をするのだから話が合って当然であるし、そうしている内に閉鎖されたコミュニティー内の繋がりが強くなるのである。

 

こんな簡単なトリックやら仕組に気付けない人間は阿呆である。

加えて、抜け出すチャンスを自分で棒に振っている阿呆である。

もう一度言う、こいつらは救いようのない阿呆である。

そして、他人の迷惑や不快感に気づけないクズである。 

 

最後までお付き合いしてくださった皆々様。

宗教と宗教的ビジネスにお気をつけ遊ばせ。