SNSは知らぬ間に首を絞めます
国語力のなさとあざとさ、その二つを兼ね備えたコンテンツは総じてクソ。
多分化学反応か何かで一般成人男性の精神を逆なでする劇毒みたいなものになってる。
その真っ白なポルシェを、真っ赤な血で染め上げながらお逝きなさい。
端的に言うと今日はそういう話です。
毎度どうも、特技が現国を数学的に解くことだったこゆきです。
やればできる子の名を欲しいままにしていた10代のころが懐かしまれます。
さてさて、
時は流れたり刻まれたり。
文字は書くのか綴るのか。
景色は見るのか映るのか。
音楽は聞くのか聴くのか。
恋はするのか落ちるのか。
日本語には美しい表現や、言い回があるわけですが。
かつてガラケーが流行った日本。しかし言語までガラパゴスってんのかっつーくらい表現が多彩。どうあっても見た目が仕事できなそうなんで、なるべくキレイな日本語を使うよう心掛けとります。
したら社外への重要メールやら、掲示文書諸々外に出す文書の最終的な校閲をする係を与えられ恐悦至極ですが、基本的には無駄な“御”を消させる係です。
いやね、日本語ってちゃんと使うとキレイなんですよ。
だってもう“きれい”の一言とっても“奇麗”、“綺麗”、“キレイ”とキレイキレイじゃ間に合わないくらい文字の起こし方があるじゃないですか。
さておき、どちらかというと文字面より表現の方に寄せて話を進めます。
国語って面白くて書き方ひとつで伝えたいことの中心がどこにあるのか変わりますね。
例えば“放課後の図書室で本を読む一人の少女”
フラットに書けばそのまんま例の通りだし。
少女にフォーカスすれば
夕日が注ぐ図書室に、少女はたった一人物語に耽っている。
人物はそもそもフォーカスされやすいから逆にムズい。
太陽にフォーカスすれば
目を落とす少女に恋をした太陽が、図書室に今日の終わりを照らしていた。
みたいな感じでいいのかな。
本にフォーカスするなら
日が陰ってなお、本はその世界を超えて少女を図書室に引き留めていた。
みたいな感じになるのか?
もうね、考え出すとスゲー出てくる。
全部夕日差し込む図書室に本を読む少女がいるだけなのに。
基本的に主語入れ替えてるだけだけど、この抒情的な色彩が日本語の持つ醍醐味じゃないかな。
しかしこの国語という日本国民なら9割超の大人が使いこなせるツールを使いこなせなず、あざとい何かとともに掲載するツールが総じてクソ。
いや、正確に言うとクソなコンテンツが集まりやすいツールというべきか。
主にインスタグラムとか。
もう写真のフォーカスと文章のフォーカスがブレまくってる。
顔面+背景に映り込むブランドロゴと明後日のコメント。
あと透き通った空の酸素に添えられる謎の懺悔の言葉という塩素系漂白剤。
犬と泣き言。
悪いことは言わないから、止めた方がいい。
芸能人でもなければ著名人でもない一人格の富も貧困も苦も楽も第三者にとっては須らくさほどの興味がないのだよ。
加え出る杭は打たれると、社交辞令という言葉を知っておくべきだろう。
富める者は嫉妬という悪意を向けられやすく、フォロワーの心配の声もビジネスにおける“恐縮です”くらい気持ちが入ってないから。
例えば僕が誰かに一目ぼれたと仮定する。
まずその女が顔出してインスタやってるって時点で1歩引く。そしてかくも芳しいを通り越した劇物を見つけてしまえば超ダッシュで逃げる。
匂わせ系インスタにはそれくらいの破壊力と殺傷力があるんだよ。
いや、ホントにプライベートで実名とか顔出しSNSやってる方は気を付けたほうがいいと思う。
あ、そんなこんなでブログタイトルリニューアルしました。