明日目が覚めませんように

明日目が覚めなければそれはそれで良いと思いません?死んだらそこが寿命ですよ。

うつが一番ひどかった時期を振り返る

今思うと社会人一年生で薬との付き合い方もうまく築けていなかった20代前半が一番僕にとって“不眠”っていう足かせが生活するにあたって辛かったように思う。

学生のころは寝坊したからと言って大きく学業に支障があるわけではなかったし、今は半減期とか自分に合う薬合わない薬を調べた上、飲む量とか時間を調節して朝には抜けるように調節出来てる。後はブログタイトルの通りいつお迎えが来てもいいかなって思ってる分、頑張らないとって気持ちがないから楽なのかな。

 

健常者の何気ない一言が痛恨の一撃になる

僕は高校中退してるから大検とって大学に行ったんだけど、大学生に全くなじめなかった。サークルに入れば楽しいのかなって思って入ったりはしたんだけど一週間も持たなかったし。何で運動した後飲み会に誘われるんだろう?と真剣に思って参加しなかたら速攻ぼっちになってすぐに退陣した。

まあそんな学生生活だったから、楽しくはなかったが苦痛とまで感じたことはなかった。でも社会に出てみると僕の“不眠”って症状は大変な足かせになった。

まだ薬とうまく付き合えてなかったし、半減期の知識もなかったから寝るために多く薬を飲めば朝起きられないし、飲む量を減らせば1時間おきくらいに浅い眠りから引いずり出される。だから日曜~木曜の夜までは夜が来るのが怖くて仕方無かった。

新卒の時は、金融系で働いてたから下っ端は何があっても一番早く出勤しなくちゃダメっていう暗黙のルールもあったりして薬が抜けなくてろれつが回らない状態で出勤したことが何回もあった。でも昼前には何とか抜けるから“眠れない自分が悪い”“ハンデがあるんだからここを辞めたら後がない”って自分に言い聞かせて続けてた。

ただそんな生活してればどっかにひずみが出てくるんだよね。決定的だったのが薬が抜けきってない状態で車の運転せざるを得なくて運転したら交通事故を起こしたこと。物損の小さい事故だったんだけどそんな精神状態だから睡眠を捨てるに至る決定打になった。

だからその後はほぼ睡眠をとってない状態で会社に行ってたんだけど、3日目くらいになると日中急に意識が飛ぶっていう現象が起こるんだよね。当然、朦朧を通り越して意識がないんだから上司に呼び出しを喰らって病状とか今後のことについて話し合いとなった。

そこで現状と睡眠がとれない。薬を飲めばかえって迷惑をかけるって話したんだけどその時の上司の返しの一言は多分生涯忘れない。

“眠れないなんて羨ましいよ。その時間を有効に使えばいいじゃん”って言われた。退職に至る痛恨の一撃。多分このままこの組織にしがみついても辛いだけだし、理解してもらおうとすること自体無理だってことを悟った。そこで一回目の腹をくくった。二回目の山はまた機会があれば書かせてもらおうと思ってる。

多かれ少なかれ抑うつ状態の人って健常者(仕事してれば特に暴力的な精神論振りかざす団塊Jr.世代の)何気ない一言に傷つけられた人って多いと思う。

心の病で生活に支障をきたしている人に伝えたい。特に死まで見据えてる人に。

今僕は運よく理解ある人に恵まれて障害者手帳無しで仕事をしてる。だから“凝り固まった目の前の人に助けを求める”んじゃなくて“少し視野を広くして理解ある人を探す”ってのも方法だと思う。ただ運の要素も大きいし、鬱と怠惰って見分けるのが難しいから簡単にはいかないのが現実だけど、首括るのは腹括ってからでも遅くないから。

死んだら楽だけど、それは本当に未練がなくなってからで遅くないと思う。 衝動で捨てるには取り返しがつかないものだからこそ、実行する前に少しだけ立ち止まって本当に未練がないか考えてほしい。

 

DO処方には気をつけろ

僕は多分初めにかかる医者を間違えた。抗うつとか睡眠薬って結局対症療法だから根源を何とかしなければ一時的に良くなったとしても結局抑うつ状態を繰り返すことになる。

でも対症療法も大事で風邪を引けば総合感冒薬で咳を止めたり、熱があまりに高ければ解熱剤を飲むことも必要だと思う。それが何年、下手したら十何年とか長いスパンで続くんだから尚のこと。

それを考えたうえで僕はお付き合いする医者を間違えたと思った。眠れないという懇願に対しても、増薬対応ばっかりだったし、口渇の副作用で逆に眠れないと訴えても“一応出しとくので酷いようなら飲まないでください”って対応をされた。(自己検証の結果ヒルナミンだったけど)どの薬が原因か考えてくれなかったし、諸悪の根源ヒルナミンは今でも束で残ってる。無駄。ひいては医療費の国庫圧迫にもつながるし。

ある程度処方薬が決まってからは予約とっても1時間待って5分問診⇒いつものお薬出しときますねが5年くらい続いた。その後最終的に入院に至るんだけどそれはブラック企業でのハードワークも大いに関係あるからまたの機会に。

まあ掛け持ちしてる患者さんも多い病気だしかかり始めの時期って強い薬って処方されないから難しいんだけど、対症療法すらままならないのであれば病気抱えた状態で言い辛いのはわかるけど思い切って紹介状書いてもらって主治医を変えるのも選択肢だと思う。

 

死ぬは最後の切り札

僕は前述した二社目のブラック企業で働いてる時、死にたいというか“今死んだら労災だよなー”って常に思ってた。抑うつがひどいと死ぬっていう人生の一大イベントですら興味がわかない。国道を渡るとき、あと一歩踏み出せば轢かれて楽になれるかなーってくらいにしか感じない。

自傷行為すら無駄に感じるし、すべてが徒労としか思えない。だって死ぬんだもん。

でもなぜか仕事の責任感からは逃れられなくて、繁忙期は平日12~14時間、金曜は26時間通しで働いて帰って仮眠した後日曜も6時間くらいは働いてた。その時期は意識が常に朦朧としてた。当然サビ残だけど、最早そのことすら気にならないくらいパンチドランカーになってた。

そんな状態だったから、前述した心療内科の医師の前で泣き崩れちゃって入院施設のある精神科に紹介状を書かれた。紹介先の先生に現状と病状を伝えたら即日入院って言われたのに仕事があるからって言って、一月先延ばしにして仕事の整理と引継ぎをしてから傷病をもらったのは記憶に新しい。少し回復してみると思考の拘束とか洗脳ってホント恐ろしいなって思う。

結局傷病明けてその会社に戻ったんだけど、ブラック体質が全く変わらなかったから退職に至った。でも縁あってその関係で出会った人たちと今僕は働いてるからそこだけは感謝してるし、ある意味貴重な体験はさせてもらえたと思う。

何で僕が未だに生きてるのか分からないし、もしかしたら当時も本当は死ぬ気なんかなかったのかもしれない。

僕の場合自分自身は変わってなくて、運良く環境が優しくなっだけだから“生きてればいいことがあるよ”なんて無責任なことは第三者には言えない。読んでくれる人は他人だし、僕がその人の人生の責任をとれるわけじゃないしとる気もない。

それでも僕は“最悪死ねばいい”を切り札にして肩の力を抜いて日々生きてる。

これは僕の処世術で人に恵まれたからこそできるものだけど、多少でも誰かの役にたてば良いなと思います。