ドラマ高嶺の花では学べないミネタカズノブについて
拝啓
納涼の候、貴殿らますますご機嫌麗しゅうことお慶び申し上げるこゆきだ畜生。
私めと申しますとスルメイカよろし乾燥しきっており、日々麗しい方々が恨めしくございます。
さてさて高嶺の花をご覧のハイソな皆様、皆様におかれましては恐らくミネタカズノブというあの魚顔のキモメンについて詳しく知らない方の方が多いのではないかと思い取り急ぎ筆を走らせた次第です。
勿論ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが今回やり玉にあげられる峯田さんはバンドマンであり、ゴイステやら銀杏BOYZでボーカルをしていらっしゃいました。
今日は今を時めく10代20代の諸君らにミネタカズノブという人間について享受したい。
ゴイステは僕らの青春だった。
高校のころライブハウスに近づいたことがあった30代であればゴイステ聞いたことない人間の方が少ないだろう。
それくらい僕らが高校生のころはゴイステ、175R、シャカラビ、GOGOそのあたりのコピバン集めてライブ!みたいな何が面白いのか、誰が得をするのか分からないライブをしていた。
銀河鉄道の夜なんて一日PAしてると最悪一日3回くらい聞かされる日もあったくらいだ(割とマジで)。
月末の日曜日になると、寂れたライブハウスには下手くそなベースソロを垂れ流す高校生が3人ほどたむろしてた。
※参考
パンクロックとかメロコア時代は今でいうところのWANIMAみたいな曲調のバンドが掃いて捨てるほどおり売れてはいなくなり、売れてはいなくなり。
僕らが高校生だったころはそんなメロコア下克上時代だった。
そしてゴイステも例に漏れず名を変え人を変え銀杏BOYZとなったが、メロコアというジャンルが衰退するにつれて息を潜めていった。
当然ミネタもゴイステ銀杏とともにメディアで目にすることはなくなった。
余談だがミネタはライブハウスでミネタのミネタ部分を晒し、男性ファンに噛まれ泣くというある種の伝説を残していおり人種としてはそこそこクレイジーなタイプである。
しかし大人が泣くほど噛みつくって…こえーよ…
して先日、滅多に目にすることのないドラマって奴を録画一覧に見つけてしまい石原さとみが出ていたことと、なんかどっかのブログに載ってたの思い出し何の気なく再生してみるとなんとそこにはどうもミネタらしき人間が映っているではないか?
心の声“いや多分新進気鋭のわき役でしょ?まさかw”
気になりすぎて内容そっちのけでエンドロールまで飛ばすと激震が走った。
マジだった。
もう一度言う、マジだった。
いや、全然共感してもらえないのは分かってるんだけどあのミネタが?石原さとみと?ドラマで共演?バカなw
ゴイステを多感な10代のころに聴いてた人間からするとちょっとした世紀末。
だってあいつクリスマスに参加条件“童貞”みたいなライブを開いて“童☆貞☆万☆歳!”とか“一発やるまで死ねるか!”とか歌ってたんだぞ?
しかもあいつ自身は多分童貞じゃない。
なおミネタ股間バイト事件はこのライブでの出来事である。
そんないい具合に大脳新皮質が機能不全起こしてるような人間が石原さとみとと共演てw
キャスティングが謎過ぎる。
当たり障りなく星野源辺りをキャスティングしとけばよかったものを…
まああまり知られてはいないが星野源もバンドマンだが(SAKEROCK)。
ここ最近の音楽畑の人間や芸人畑の人間の俳優としての躍進を見ると片桐はいりみたいな生え抜きの三枚目とか名わき役と呼ばれる人間が俳優畑で育たない環境なんだろうなぁと思った今日この頃。
顔面偏差値68くらいの俳優ばっか養成してないで、ミネタとか片桐仁とか癖のある役を他の畑から調達しないで自前の畑で育てなさいと思った次第であります。
敬具
ミサトスキーと仲良くなれない件
毎度どうも、こゆきです。
親展封筒の意味を知らない人間が多すぎて親展要らないんじゃないかと最近思い始めました。開けられたくなきゃ本人限定受取郵便使いなさい。
さて、またエヴァ。
そう、またエヴァ。
ってか今回エヴァの話しか出てこないからTV版エヴァ・旧劇場版・新劇場版網羅してみてない人はお引き取り願います。
あとミサトさんをミサトスキーご本人様と共に全力でディスる内容も入っている為、切れやすいミサトスキーさんはお引き取り下さい。
いやーやっとシン・エヴァンゲリオン公開の目途が立ったね。
皆さん覚えていますか?Qが公開された年を。
2008年ですよ?下手したら僕ギリ大学生だった頃ですから。
世間的には松下電器産業がパナソニックに商号変更した年ですよ。
言われてもピンとこないでしょ?それくらい昔なんですよw
2008年生まれの子なんて公開のころには中学生、大概待たせすぎ。
最悪もう作ってないんじゃないかと思ってましたから。
まあこれであと2年は生きねばならぬ予定がたったわけですがね笑
さて本題。
実は同世代のアニメ好きって結構仲良くなれるんですよ。
この年になってもアニメというカルチャーを語らえるのって貴重な人物ですから。
しかしね、何故かエヴァの中で葛城ミサトが好きって奴とは仲良くなれない。
まあそもそもの母数が少ないので確率は100%だがサンプルが2分の2w
だって、何なんですかあの女?いいとこあります?
難ならたまに子宮から声出てません?
新劇場版:序
ヤシマ作戦を拒否るシンジ君をターミナルドグマ連れてって“命を懸けてるのはあなただけじゃないわ”って、逆にシンジ君ミスったらみんな死ぬってプレッシャーかけてるじゃないですか!
しかも結局みんな死ぬからどうせなら死なない可能性がある作戦、やってみない?って手を握りながら言われたら童貞のシンジ君なんかハイって言わざるを得ないじゃないですか?
皆さんいいですか、アレがアノ女のやり口ですよ?よく覚えておいてください。
汚ねぇ…
新劇場版:破
エヴァ搭乗をちょっと拒否ったら15分前には“もうエヴァには乗らせない”くらいのこと宣った癖に、いざ乗ったら“行きなさいシンジ君、誰かの為じゃない自分自身のために!”ってw
直情に任せてもの言いすぎですよ。
言ってる事ほぼ真逆ですよ?
新劇場版:Q
ゴメンwミサトさん含めほとんど記憶がないw
カヲル君がリリンの業は僕が背負うつってシンジ君の首についてた殺人チョーカー外して自分につけなおしてるの見て、“なぜ外したままにしておかなかった?”と思ったことしか覚えてない。
3回くらい見たはずなんだがなぁ
旧劇場版
シンジ君を格納庫に送り出すときいたいけな中学生の口の中に舌突っ込んで“これが大人のキスよ帰ってきたら続きをしましょ⇒死”って何なんですか!?
シンジ君、性に多感な中学生ですよ?風呂上がりの綾波見てめっちゃたじろいでコケておっぱい触る程度のラッキースケベ。
あのカットはキスシーンだからバストアップの映像だった気がするんですけど、きっとシンジ君のシン・シンジ君部分が映像にするに堪えなかったからあの画角なんです。
使途倒して、期待に胸(とシン・シンジ)膨らませで帰還できたとしても続き出来ないんですよ?酷い女だ。
何か、シンジ君全編通して不憫だな
まあそれはそれとして、あの葛城ミサトってビッチは女を武器にあの地位を獲得したに違いない。だってゲンドウさんスケベな上ミサトさん無能だもん。
ゲンドウさんは、ばぁさん(林原声)こと赤城りっちゃんのかーちゃん抱いてたし。たしかTV版ではりっちゃんも抱いてた気がする。
あんな女を武器にするビッチがネルフ最大のスケベであるゲンドウさんに抱かれてないわけがない。しれっとTV版で梶さんにも抱かれてたし。
あとミサトさん無能。普通に能力不足。
何?“奇跡を待つより捨て身の努力よ”って。そもそも努力は作戦じゃねぇw
考察より行動が先行するタイプは管理に向いてない。
これらをまとめると、新劇場版での最終地位である一佐は能力ではなく枕で得た地位だと結論付けられます。
だからきっとあれですよ、ミサトさんが好きな野郎は深層心理でビッチが好きなんですよ。でも考えてみてください、女を武器にして【一佐】までのし上がっていった人間ですよ?
そんなハングリー精神あふれる超肉食系ビッチなんぞ情事の後には相当の見返りを要求してくるに決まってますよ。
そういった意味でミサトスキーの皆々様は女の趣味が悪い(偏見です)。
綾波に“あなたは死なないは、私が守るもの”って言われたい、“高嶺に咲く一輪の百合のような清廉潔白な感じが好き!”っていうもう精神的には童貞なんじゃないかっていう我々綾波スキーの対角線上にいる人格なんです。
合い交えない人種なんです。
というわけでミサトスキーの皆さん、胸に手を当ててホントにエヴァの中で一番好きな女性キャラが葛城ミサトかどうか考え直してください。
アスカとか意外に可愛いとこありますよ?
シンジ君に美味しい料理を提供しようと味付けに悪戦苦闘しちゃうツンデレの鑑。
一回くらい“あんたバカぁ”と罵られるのもいいじゃないですか^^
でも綾波なんかもっと凄いですよ、新手の自傷行為かってくらい指に切り傷作りながらもシンジ君に美味しいご飯作ろうと頑張ってますから。
隠したいのに隠せない不器用さんですから。
抱きしめたい、多分性格からして柔軟剤とか使ってないけどいい匂いする、絶対する。
綾波、君の作った料理なら焦げた卵焼きだって火の通ってない鶏肉だって笑顔で食ってやる。シンジなんかほっといて、俺と結婚しよう。
なんの話だったからわらなくなってきたから今日はこのあたりでノシ
音楽におけるノイズ
どうも、こゆきです。
女の言う可愛いと男の言う可愛いが交わるのは新垣結衣だけ。
痩せたらかわいいなら痩せろ。話はそれからだ。
さて話は変わるが、前記事で触れたけどAimerの話。
wikiから来歴を引用
(前略)15歳の頃、歌唱による酷使が原因で声帯を痛め、治療のために沈黙療法を選択したことで発声が出来ない期間を約半年間経験するが、そのおかげで歌手になりたいという夢が明確になり、回復後に喉を守るように工夫して歌うなかで現在の声質と歌唱法を確立する。このときの声帯の傷はデビュー後の現在も完全に治癒していないが、完治すると今の声は出せなくなるとの主治医の忠告もあり、声質を維持するために現在の状態を保っている。(後略)
その苦境を乗り越えたから今があるんだろうがわざわざWikiに載せずともいいのではなかろうか?因みにapple musicの紹介文にも載ってる。
Aimerに限ったことじゃないけど、本人の来歴など音楽を嗜むうえではノイズ。
米津玄師が高度自閉症だろうと、ミオヤマザキがキャバ嬢だろうと音楽を聴くうえで関係ないんだよ。
前者はいい意味で気が触れてるし、後者は悪い意味で気が触れてる。語彙力の差やね。
僕らエンドユーザーは彼らの音楽を聴いて感想持つだけで良いのだ。
自閉症患者がみんな素晴らしい音楽を作れるわけじゃないし、キャバ嬢でもいい音楽を作れる奴もいるかもしれない。
だからぼくらエンドユーザーはそういう来歴とか、お涙頂戴みたいな話を耳に入れないで評価をするべきだ。
実は一般論すれば当たり前で、仮に僕が子供のころ父が死に片親に育てられたとする。
幼少期は貧しくいつも忙しい母の手料理など食べたことなければ、金がない故水道すら止まり、雨どいの水を啜る日もあった(無いけど)。
だとして、就活でそんなことは言わない。
言っても“可哀そうだから採用する”なんて奇特な企業はないだろうし、万が一あったとてそんな採用基準の会社なんぞこちらから願い下げだ。
しかし地上波では現役キャバ嬢ミオヤマザキ独白だとか、女子高生シンガーソングライター家入レオに迫るとかノイズ部分を強調しやがる。
提供される音楽っていう仕事の部分より、“若き頃、泥水啜ってました”と宣う。
人と違う生き方しようとしてるんだから、楽な訳が無かろう。
せやから皆様来歴やら音楽外のノイズ騙されず、良い音楽ライフをノシ
結局のところTPO
元気な女も元気な男も嫌いなこゆきです。
“平均的テンション”って奴を拳に込めて脳天に叩き込みたくなります。
しかし。
言っておいて難だが、平均的テンションとは何ぞやと。
例えば僕ら世代が大学生のころ。サークルのコンパやら学際の打ち上げなんかはそれはそれは芳しいテンションで“ウェーイ”してた。
そんな鏡月飲み狂う輩どもを傍目に隅の方でダイアモンドの炭素結合の立体構造の美しさについて語らう奴らはさぞ異端だったに違いない。僕です。
まあ、これに関しては僕が悪い。
バドミントンが真剣にしたいんです!ってやつは僕と友人Aしかいなかったし。
よく考えたらそうだよ、大学サークルなんて飲み会とセックスがしたい奴らの集まりだったんだ。そうなると飲み会なんてちょっとした前戯。
そんな中“これだけ結合点が多ければ硬度が高いのも当たり前だよな~、しかしいつ見ても美しい!”みたいなこと言ってたら気持ち悪いもん。
まあ本当にキレイなんだけどさ。
※参考
自然にサークルから去る羽目になったのは、僕がその場の平均的テンションに合わせられなかったことに対しての罰である。好都合だが。
例えば、一枚板の木のカウンターの寿司屋でウェーイっていってる輩が居たら場違いだけど、サークルコンパで“いっき!いっき!うぇーい!”ってるところに“一揆!?鍬とか必要?”まあいいや、そんなことよりダイヤモンドの話しようぜ!って奴もまた場違いな訳です。
何が言いたいかって言うとTPOを弁えろ。
もっと言うと身の丈を弁えろ。
寿司屋のカウンターで弾けちゃう奴は回転寿司で修業を積むべきだし、周りのテンションについていけないやつはその飲み会には参加すべきでない。
しかしここで問題が。
“やむを得ず参加した集まり”が自分が振舞える平均的テンションから外れる可能性というものが発生した。
そう、同窓会である
前記事で同窓会にだまし討ちされた件を書いたけど、遂に本日開催となり断るタイミングも無くなった。
マジでこえーんだよ。
正直イケメンで好成績、人当たりも良かった佐藤君が禿げてようと、美人で寡黙だった佐々木さんがよくしゃべる太り気味のアラサーになってようと知ったことか。
いやむしろそれならルサンチマンのやり場が出来て好都合だ。
ここ10数年同窓会に参加してないゆえ、皆のテンションが分からない。
分からいものは合わせようがない。
万が一僕が出せるパフォーマンスを超えたテンション帯だった場合、空気になる選択肢しかない。
そうなると一番恐れるのは“要らぬ気を使われること”である。
ひっそり隅っこで空気中の酸素を二酸化炭素に変える仕事をしているところに、思い出したように声をかけられる事が最大の恐怖である。
そして全く興味がない“ウチの子供がさ~”みたいなクソ喰らえな話題に巻き込まれ思ってもない建前を述べる事はこの上ない恥辱である。
挙句“ウチの子の写メ”とやらを見せられた時なんていうのが正解なんだよ。
可愛いねー!そう言えば子どもって3歳までタワシで体洗ってあげると大人になってからも風邪ひきにくくなるらしいよ!とでも言っとけばいいのか?
いやー、恐怖で妄想が膨らむ膨らむ。
無理して出すテンションの場には行かないが一番ですな。
お気をつけあそばせ。
次世代を担うエヴァは出てくるのか
嫌いなタイプが意識高い系の女と相槌が下手くそな男のこゆきです。
一生水素水にチアシード入れて飲みながら、分かるーって言われてろ。
アニメってあるじゃないですか(唐突)
昔はアニメが好きで、ってか今でも好きなんですけど何故か最近率先してみるアニメがない。そんなこんなで僕がアニメ離れしてしまった理由を考えてみた。
基本的に物語をアニメ化するとき重要な構成要素は大きく分けて三つだと思ってる。
①音楽
②キャラの立たせ方
③演出
意外に思うかもしれないけどストーリー二の次。
って言うより、一定水準あってたり前なんだよね。映像化される作品なんだから
この三要素+αを気持ち悪いくらいキッチリ満たしているのが攻殻機動隊。
とても15年以上前のアニメとは思えないくらい纏まってる。
菅野よう子が織りなす数々の音楽。
少佐やタチコマといった魅力にあふれるキャラ達。敵対勢力であるはずの笑男ですら非常に魅力的に描かれている。
作画も昨今の中国外注のクソアニメよりよっぽどキレイ。
二の次と言ったストーリーもシリーズ一貫して骨子がしっかりしている。
申し分ない。洗練されたアニメだと思う。
こっからは①~③の要素を一つ以上三つ未満満たしてバズった作品たち。
①音楽特化型
マクロスFは音楽取ったら何も残らない。けいおん!は音楽しか知らん。
エウレカは今考えると日曜朝アニメの限界に挑戦してたと思う。子どもにスーパーカーとかビバッチェわどう考えても合わないし。
因みにエウレカのサブタイ全部音楽の曲名。
②キャラ特化型
この辺は内容云々よりキャラ。
絵に描いたような、まあホントに描いてるけど。ツンデレ・ヤンデレ・クーデレの三拍子。
③演出特化型
危うくシャフトのみになりそうだった。
物語シリーズは化物まで面白かった。上質な紙芝居を見ているようなそんな気分にさせてもらえるアニメだった。
“なんか新しいな”と思わせてくれたアニメたち。
④複合型
ばにぽにだっしゅ(バズったかは不明)
エヴァは綾波です。あと最終回付近の“我々は何を見せられているんだ?”という奇をてらった演出。
ここ20年、世界系のアニメは絶対エヴァっぽい部分を抱えてしまう魔法にかかってる。ここまで行くと庵野の呪いと言って過言じゃないだろうよ。
まあ乱雑に上げてみましたがざっとこんな感じ。
じゃあこれがなぜアニメ離れにつながったかって言うと
飽きた
この一言に尽きる。
なんて言うか一話くらいは見るんですよ。基本的にはアニメ好きなので。
でも見ると“あー○○っぽいなー”とか“どう考えても劣化版○○w”ってなるんだよね。
さてさて本題、30代のアニメ好きの諸君らは恐らく“ダリフラ”を見て“まんまエヴァやん…”と思ったはずだ。もし思わなかったらどうかしてる。
そう、30代のアニオタは似た様な作品の焼き増しに食傷気味なんだよ。
いくらカレーがおいしくったって毎日食ったら飽きる。まさにソレ。
しかしアニメ版エヴァを見ていない若年層はダリフラを見てどう感じただろうか。
もしかするとなんかフワフワした世界系、新しい感じのアニメを見たような気分になれたのかもしれない。 ゼロツークーデレで可愛い!ってなったのかもしれない。
つまりアニメにハマる世代が新陳代謝し続ける限り、エヴァの呪いを解くアニメを作り出す必要性ってのがそもそもないのかもしれない。
それでも。それでもアニメが好きで好きで、三次元より二次元の可愛い女の子に癒されたいっていう気持ち悪いおっさんもいるんだ。
多分今エヴァっぽいことをしようとしたらダリフラとか、エウレカとかやっぱり劣化かどうかは抜きにしたってどうしても“ぽい焼き増し”になってしまう。
そういう意味では物語シリーズとかまどマギとかを送り出してるシャフトは新境地に挑戦してて第二世代のエヴァを生み出すに一番近い制作会社だと思う。
アニメーションの見せ方に着目して文字に重きを置き“読むアニメ(仮称)”ってジャンルを作ったのは評価に値するし。
ドララマさんの校閲ガールなんかモロに影響受けてたしね。
失礼、かみまみた。
シャフトの新境地に期待するとともに、SHIROBAKOみたいな等身大の生身の大人にフォーカスした普通に面白い作品がたまには出てくるといいなと願います。
NO☆DO☆GO☆SHI!
どうも、こゆきです。
毎度私事で申し訳ないんだけど、僕はビールが飲めない。
子供のころ山菜とかアクの強い食べ物が嫌いだったけど今は好きになった様に、経年変化で飲めるようになってるかなと思って暑気払いで憧れだった“とりあえず生”に参加してみた。
もうね、全然進まない。
日本酒?って量を口に入れただけで独特の苦みと臭いでもうNG。
周りは敵将でも打ち取ったの?みたいな量を酒盛ってるのにこちとら三口目くらいから一向にジョッキ内の液体減らず。
もう滅茶苦茶のど乾いてるんですけど、肝心のお冷のボトル見当たらず。
隣にいた知人Fくらいの人物にハニカミながら“ビールって不味いですよね、流れで頼んで失敗しました”と伝えるも“ってかビールはのどごしだよね”と一蹴。
渾身のハニカミ返せ。
しかし巷で有名なビールのどごし説にここでぶつかるとは。
じゃあ仮にビールはのどごしを楽しむものだったとして。
だったとして、だったとしても美味しいかどうかは個人の裁量じゃん。
のどに行きつくまでに舌っていう味覚をつかさどる門番にぶち当たるじゃん?
苦いから不味いって言ってんのに、のどごしとか持ち出して来たらもう味関係なくなってきてる。知人Fもこと味に関しては触れずからののどごし。
そして僕が嫌いな苦みの根源“ホップ”
その正体↓
蔓状に伸び、概ね6~8mほどに成長し上部に実が生るとのこと。
いや、なんで?
なんでそんな摘むのに労力が必要な植物の種子を飲料、あまつさえ醗酵食品に入れた?
どういう精神状態の人間がこんな奇行をとったか不思議で仕方ない。
納豆のたまたま発酵しちゃったけど腹が減ってたから食べたってレベルじゃない。
6~8mってw小学校の3階くらいの高さだ。
たまたま摘んでみたが通じる高さじゃない。
こんな仰々しいツタ状の植物の種子なんぞ普通の精神状態で“摘んて来ようぜ!”ってならない。ちょっとした罰ゲームだ。
今は昔、貴族の間で切り立った崖に生えるツタ状の植物の種子を道具を用いないで農民に摘ませ、それを安全な場所から眺めながらチーズを食むっていう遊びがあった。
また、安全な場所から飲むワインの味は格別だったという。
んで摘ませるのは良いけどこの余った種子どうする?ってなって捨てるのもアレだから、何となく麦汁が入ってる樽の中にとりあえず置いておいた。
するとどうだろう、種子㏌麦汁の存在を忘れたころかくもかぐわしい香りが麦汁樽倉から漂ってくるではないか。そうこれがビール誕生の瞬間である。
そしてかくもかぐわしい金色の液体を口にすると非常に美味であったそうな。
加えてなんかこういつもの麦汁より、シュワシュワしてのどごし良くない?
ってなって流通し始めたらしいよ(適当)
SNSは知らぬ間に首を絞めます
国語力のなさとあざとさ、その二つを兼ね備えたコンテンツは総じてクソ。
多分化学反応か何かで一般成人男性の精神を逆なでする劇毒みたいなものになってる。
その真っ白なポルシェを、真っ赤な血で染め上げながらお逝きなさい。
端的に言うと今日はそういう話です。
毎度どうも、特技が現国を数学的に解くことだったこゆきです。
やればできる子の名を欲しいままにしていた10代のころが懐かしまれます。
さてさて、
時は流れたり刻まれたり。
文字は書くのか綴るのか。
景色は見るのか映るのか。
音楽は聞くのか聴くのか。
恋はするのか落ちるのか。
日本語には美しい表現や、言い回があるわけですが。
かつてガラケーが流行った日本。しかし言語までガラパゴスってんのかっつーくらい表現が多彩。どうあっても見た目が仕事できなそうなんで、なるべくキレイな日本語を使うよう心掛けとります。
したら社外への重要メールやら、掲示文書諸々外に出す文書の最終的な校閲をする係を与えられ恐悦至極ですが、基本的には無駄な“御”を消させる係です。
いやね、日本語ってちゃんと使うとキレイなんですよ。
だってもう“きれい”の一言とっても“奇麗”、“綺麗”、“キレイ”とキレイキレイじゃ間に合わないくらい文字の起こし方があるじゃないですか。
さておき、どちらかというと文字面より表現の方に寄せて話を進めます。
国語って面白くて書き方ひとつで伝えたいことの中心がどこにあるのか変わりますね。
例えば“放課後の図書室で本を読む一人の少女”
フラットに書けばそのまんま例の通りだし。
少女にフォーカスすれば
夕日が注ぐ図書室に、少女はたった一人物語に耽っている。
人物はそもそもフォーカスされやすいから逆にムズい。
太陽にフォーカスすれば
目を落とす少女に恋をした太陽が、図書室に今日の終わりを照らしていた。
みたいな感じでいいのかな。
本にフォーカスするなら
日が陰ってなお、本はその世界を超えて少女を図書室に引き留めていた。
みたいな感じになるのか?
もうね、考え出すとスゲー出てくる。
全部夕日差し込む図書室に本を読む少女がいるだけなのに。
基本的に主語入れ替えてるだけだけど、この抒情的な色彩が日本語の持つ醍醐味じゃないかな。
しかしこの国語という日本国民なら9割超の大人が使いこなせるツールを使いこなせなず、あざとい何かとともに掲載するツールが総じてクソ。
いや、正確に言うとクソなコンテンツが集まりやすいツールというべきか。
主にインスタグラムとか。
もう写真のフォーカスと文章のフォーカスがブレまくってる。
顔面+背景に映り込むブランドロゴと明後日のコメント。
あと透き通った空の酸素に添えられる謎の懺悔の言葉という塩素系漂白剤。
犬と泣き言。
悪いことは言わないから、止めた方がいい。
芸能人でもなければ著名人でもない一人格の富も貧困も苦も楽も第三者にとっては須らくさほどの興味がないのだよ。
加え出る杭は打たれると、社交辞令という言葉を知っておくべきだろう。
富める者は嫉妬という悪意を向けられやすく、フォロワーの心配の声もビジネスにおける“恐縮です”くらい気持ちが入ってないから。
例えば僕が誰かに一目ぼれたと仮定する。
まずその女が顔出してインスタやってるって時点で1歩引く。そしてかくも芳しいを通り越した劇物を見つけてしまえば超ダッシュで逃げる。
匂わせ系インスタにはそれくらいの破壊力と殺傷力があるんだよ。
いや、ホントにプライベートで実名とか顔出しSNSやってる方は気を付けたほうがいいと思う。
あ、そんなこんなでブログタイトルリニューアルしました。